20/06/07

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朝早くチェックアウトを済ませ、荷物をユースに預けた後、

今日はバルセロナから北へ小一時間行ったところにある小さな街フェローナ(スペイン語でGirona、カタラン語でGeronaと書くらしい)を訪れた。

駅から旧市街へ向かい、川を渡ると突如として城壁が見えてきた。

洗濯物が干された家々のすぐ横にある歴史的な建造物とのコントラストが面白いと思った。

 

城壁の上を大聖堂の方角へ歩いて行く。

聖堂の周りには綺麗な庭があり、ここでしばらく本を読んだ。

空を見上げると、空を半分埋め尽くすほどのツバメが飛んでいた。

冬になるとどこへ飛んでいくのだろうか。

大聖堂の中を見学した。

英語のオーディオガイドが付いていて、なかなか面白かった。

フェローナの旧市街を歩いていると不思議な感覚を受ける。

階段が多く、道幅が狭いため、迷路を歩いているような感覚を受けた。

ここをあがってきて、ここを右に曲がったんだから、

あれ?なんでここに戻ってきたんだ?

まるでEscherの不思議な絵画の中を歩いている感じだ。

バルセロナとは違い、街全体も静かで、僕好みの街だ。

こういう道は大好きだ。

右に行くか左にいくか迷う。

なんであんな所にドアがあるんだ?

街を一通り見終わった後、大聖堂の近くにある庭に戻り、魔の山を読み終えた。

とても難しい本だった。しばらく考え込んだ。

ハンス・カストルプの前には、素晴らしい人生が待っているようだった。

彼は船の設計士として、仕事を始めるはずだった。

24歳のカストルプは、従兄弟のジョーキムを訪れに、スイスにあるサナトリアム(療養所)を訪れる。

当初は3週間滞在する予定だった。

しかし、様々な事象が合わさり、彼は結局7年間もサナトリアムで過ごすことになる。

もし、時間というものが、トーマス・マンが説明するようなものであったら、

僕のこれからの人生はあっという間に過ぎていくことになる。

何故なら、時間というものは、単に人間の作り上げたある一定のルールではなく、

人の経験や知覚に影響を受けるから。

そのため、時間は「日常化」すると加速する。

僕は東京で仕事を始める。

東京での仕事が本当に僕がやりたいことなのか?

僕は社会において、その役割を担っていきたいのだろうか?

そんな大事な質問に、答えを与えないまま仕事を始めれば、必然的に、次第と毎日がルーチンとなる。

仕事とそれから発生する責任を中心として、僕はルーチン化した日々を送ることになるわけだ。

日常化した時間は、失われた時間と見えてしまうかもしれない。

しかし、ハンス・カストルプは最終的に答えを見出さなかったであろうか?

確固たる目的を抱き、サナトリアムを飛び出さなかったであろうか?

2つの問いを、将来の自分に残そう。

人は一人で成長できるか?

命というものを、中身に何があるか見もせずに定義付けできるだろうか?

この質問を7年間保留しよう。

その間僕はサナトリアムに入り、たまにそのことを考え、

その終わりには、僕の生きる上での役割が分かっていると期待を抱きながら。

それまで、僕は 「life's delicate child」のままでいることに恐れを覚えない。




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